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『大衆化する大学院―― 一個別事例にみる研究指導と学位認定』(20069月、未來社刊)

刊行ご挨拶

 

折原 浩

 

 

 

拝啓

 朝晩しのぎよい候となりました。ますますご清祥のことと拝察いたします。

 このたび、拙著『大衆化する大学院―― 一個別事例にみる研究指導と学位認定』(未來社)を上梓いたしました。ご多忙のところたいへん恐縮ですが、お暇の折、ご笑覧たまわれれば幸甚と存じます。

 

 さて、2003年の羽入書批判を皮切りに、多岐にわたった論争提起も、主たる相手の応答がないまま、このへんで一区切りつけざるをえないか、と予想されます。つきましては、この機会に一点だけ、(それ自体としては好ましくなく、できれば避けたい)自己解説をお許し願いたいと存じます。と申しますのも、この間、「折原はなぜ、羽入書のようなつまらぬものにこだわり、山本七平賞選考委員ら『保守派論客』や「旧石器遺物捏造事件」の当事者はともかく、本来は『味方』のはずの東大院人文社会系倫理学専攻から、『大塚門下』、はてはヴェーバー研究の『中堅』や『若手』にまで、批判の矛先を向けるのか」という戸惑いと批判が広まっているように見受けられるからです。ところが、わたくしのほうから忌憚なくいわせていただければ、まさにそうした「批判」を生み出す「戦後進歩派ないし左翼」の問題点を指摘し、その克服に向けて捨石を置くことこそ、この間の四部作への状況論的意味づけのひとつにほかなりません。

 

 過日著者から贈呈を受けた『丸山真男』(岩波新書)の序章に、三島由紀夫と林房雄が対談して丸山に論争を呼びかけたところ、丸山が別の座談会には出て、「事実上黙殺するだけじゃなくて、軽蔑をもって黙殺すると公言します」と答えた、というエピソードが載っています(5頁)。さて、丸山は、三島と林の批判を「正面から受けて立ち」、「逆手に取って」、自説の正当性を主張することも、できたのではないでしょうか。ところが、著者は、そうしない丸山を容認し、しかも「丸山は、異質なものとの接触の意義を強調した」と説いています。「異質なものとの接触」とは、旧制高校の学寮とか、「東大法学部のリベラルな雰囲気」とか、同質空間の枠内にかぎられるのでしょうか。

  1968-69年の「第一次東大闘争」のあと、わたくしどもが「解放連続シンポジウム」を開設し、「お互いの職場で起きた問題の事実関係をともに究明しましょう」と、一資料として拙著『東京大学――近代知性の病像』(1973年、三一書房刊)を贈って参加を呼びかけたときにも、丸山は、ただ「断る」というのではなく、「お前などと付き合うひまがあったら自分にはなすべきことが山ほどある」とか、「お前のような精神的幼児がスルスルと助教授に収まっていられるところに『東京大学の病像』が顕れている」とか、いわずもがなの言葉を返してこられました(『丸山真男書簡集』5、みすず書房、309-10頁)。

 「異質なもの」といっても、自分を受け入れてくれそうな範囲をあらかじめ決めて、「仲間内だけで気勢を上げる」あるいは「崇拝者の群に上機嫌で饒舌を振るう」ことはしても、その限界を越えて「異質なものに触れる」と、とたんに拒否反応を起こし、逃げを倨傲で糊塗するかのようです。「どんな対戦相手も受け入れ、勝敗は二の次に、フェアプレーに徹して闘い抜く」スポーツマンと対比して、なんとも偏狭で退嬰的なスタンスではないでしょうか。「上に向かっても下に向かっても、右にも左にも、フェアに対応し、必要とあれば『身内』にもいいにくいことをいう」度量が欠けていたのではないでしょうか。

 

  ところが、そうした脆弱性は、なにも丸山にかぎられません。「戦後進歩派ないし左翼」総体に浸潤し、目に見えない前提枠をなし、前記著者のような後続世代にも根を下ろしてしまっています。総じて「戦後進歩派なしい左翼」には、「政治運動あがり」はいても、スポーツマンがいません。先頃、『前夜』という雑誌が創刊され、わたくしも期待して定期講読を申し込んだのですが、「自分たちにとって異質なもの」たとえば現役の「保守派論客」群を取り上げ、それぞれの著作に即して批判を加える特集を組むとか、せめて一号に一人づつ取り上げて「叩く」とか、そういう「他流試合」は、少なくともいまのところ念頭にないようです。「身内」だけで「群れをなし」、「共鳴者をつのって気勢を上げる」だけでは、「縮小再生産」に陥らざるをないでしょう。

 

 こういうことでは、「戦後進歩派ないし左翼」は先細りするばかりで、それだけ「保守派論客」は「いいたい放題」となり、影響力を増すでしょう。とくに、拙著『学問の未来』で山折哲雄、養老孟司、加藤寛らとともに槍玉に上げた中西輝政が、論証(143-47頁)のとおり、学問上支離滅裂で、品性も問題ですが、それにもかかわらず、あるいはむしろまさにそれゆえに、日和見右翼のポピュリストともいうべき安部晋三の「ブレイン」に収まり、さらに悪影響をおよぼしそうな動きには、危惧と憂慮を禁じえません。いま、中西の著作をあくまで言説によって批判し、論証で影響力をそいでいく、「理性的批判の具体的普遍化」が、まずは京大の研究者に求められるのではないでしょうか。いな、いまや京大にかぎらず、誰しも身辺を見回せば、似たりよったりの人物がうごめいていましょうから、各人の専門にいちばん近く、もっとも問題のあるひとりに絞って、批判を集中し、論陣を張り、そのようにして自分の学問も鍛える、相手のある具体的な思想闘争を、各自の現場で展開する必要があるのではないでしょうか。

「戦後進歩派ないし左翼」の問題提起と遺産を継承する一方、その限界は「理性的批判の具体的普遍化」によって越えていく以外、学問の「下降平準化」に歯止めをかけ、状況論的にも、「恣意に居直るポピュリズム」ともいうべき現下のファシズムをくい止めることはできない、と思うのですが、いかがでしょうか。「学界−ジャーナリズム複合体制」に現れた羽入辰郎は、政界の小泉純一郎および安部晋三と「等価」ではないでしょうか。太平洋戦争前夜の「知識人」も、一人一人は「おかしい」と思いながら、他人の顔色を窺うばかりで、個人としてはっきりものをいわず、ズルズルと破局にまで引きずられていったのではないでしょうか。この点を、敗戦直後、誰よりも反省し、批判したのが、丸山真男だったはずなのですが。

 

 というわけで、この間の四部作が、「理性的批判の具体的普遍化」への捨石として、状況論的にも活かされることを祈念してやみません。「中堅」「若手」のみなさんには、かぎりある老躯がいつかは持ち切れなくなる「槍」を、このへんで早めに、担ってくださるように!

 では、よい季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

20069

 

折原 浩